言葉は生もの

最近たくさんブックマークされていた、こんな記事がありました。
「させていただく」症候群と誤用の理由 | 美しい言葉
その時の自分が思ったことは、

「〜いたします」等ふさわしい謙譲語や謙譲表現があるにもかかわらず「〜させていただく」と言われていることが多いので、気にはなるんです。でも自分のことを振り返ってみると、営業の仕事を昔していた時なんかは、相手が社会的地位の高い人だったりで必要以上に丁寧に話そうとしてしまって「〜させていただく」を使ってしまったり、周りの上司などがそういうふうに話していると、同調してついつい「〜させていただく」といってしまったりしたことがありました。
人の上に立っている人というか、社会的地位の高い人が、必要以上に丁寧に話そうとして「〜させていただく」といっている感じがして、それが一般にも蔓延しているように思います。蔓延しているといえば、この前もテレビで新商品発売の際の販売元の社員さんのインタビューで「〜させていただく」を連発していたのがすごく印象に残ってます。肝心の商品のことは全く覚えてないのですが。
でも、言葉は生ものなので、これが一般化していくこともあるんじゃないのかなと思うし、自分で違和感を感じなくなったらそれはそれでいいのかもしれません。「〜させていただく」とは関係ないけど、音位転換というのも言葉にはあって。山茶花は「さざんか」と読むけど、漢字の並びからすると「さんざか」と読む方が本来は正しくてそうだった。でも「さんざか」と読むのは発音しにくいので、いつしか「さざんか」になった、という話。タモさんも前に「秋葉原」をアキバと略すことで、本来の読み「あきばはら」に戻ったってブラタモリで話してたけど、これも音位転換の話。
あと、日記を書いてても思ったんだけど、自分の母親のことは「母」と言うし、言えるけど、お義母さんのことは「義母」となかなか言えないし書けないです、なんだかつっけんどんな感じがしてしまって。オリンピックメダリストのインタビューなどで、自分の母親のことを「おかあさん」と話しているのに違和感を感じるとアニさんもトゥイートしてたけど、確かに違和感があります、トゥイッターの中でも、いい歳こいて自分の身内にその呼び方はないだろと思うこともあるんだけど、お義母さん問題はなかなか難しい……。そして、インタビューで自分の母親をおかあさん呼ばわり問題は、アニさんもトゥイートしてたように、モヤッとしたら負けのような気がするので気にしない方向で。
そう考えると、僕らは言葉が変化している時に立ち会っているのかもしれない。というよりも言葉は絶えず変化しているんだと思う、その中で過ごしているんだと。だから気にしながらも気にしないのがいいように思います。「〜させていただく」に感じる違和感も大事にしながら、時には周りに流されて多用しながら、それでも抗う謙譲語を遣わさせていただく、いや、遣ってまいりたいと思います。